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「魚がし日本一」店長候補2019年入社 高田馬場アカデミー卒業 伊藤 善人

すし・和食は日本の伝統技術
世界で通用する技術を身に付けたいですね

これまでの経歴をお聞かせください。

都内、御徒町の出身です。小学校の頃からバレーボールをやっていて、 中学・高校、大学選びもバレーボールを最優先に考える位に打ち込んでいました。 春高バレーで優勝した経験もあり、大阪の大学へ行きバレーを続けることにしました。 学生時代はバレーボール一色でした。

学生生活で打ち込んだことは?

やはり、バレーボールだけに没頭していたと言った方がいいと思います。授業以外の時間はほとんど練習に充てていましたから。

大学3年生時にどのような就職活動をしましたか?

実は実家が3代続く寿司屋をやっていまして、なんとなくそこを継ぐことになるんだろうなと考えていたことから、インターンシップに行ったり会社説明会に行ったりという、いわゆる就職活動的な事は全くしていませんでした。 そうゆう状況だったので、大学卒業後もすぐに実家へ帰らずに2年近く学校へ残って、アルバイトをしながらバレー部のコーチをしていました。そのままスポーツトレーナーやコーチでという選択肢もありましたが、安定した将来ということを考えて飲食でのキャリアを決めました。

長年続けたバレーボールから離れて、違った環境で働くことを決めた経緯をお聞かせください。

コーチを始めてから1年ちょっとくらい経った頃に「ロードトリップ・ネーション」というNPOが創った番組を観たことが良いきっかけとなりました。その番組は大学を卒業したばかりの男女4人が、アメリカ中を旅して、「やりがいのあることを生活の第一にしている」人達に、インタビューをして、「やりがいのある仕事、やりたい仕事とは何か」をそのインタビューの中から発見してゆくというものです。 この番組を観てゆく中で気が付いた事は「まだ、仕事をしたこともない自分が理屈や適性検査でやりたい事が見つかるわけがない」ということ、また、今、天職に就いていると考えている人の中には、たとえ傍から見たらつまらなそうな仕事でも、働いてゆく中で自分自身のスキルが上がってゆくことで天職に巡り合ったと感じている人が少なからずいる、ということが実感として得られたからです。 学生時代に就職活動をまともにやらなかったので、このことでちょっと安心しました。 そして、社会人としてのキャリアは、学生時代にやりたい事を見つけることや、やりたい事の目標に自分を近づけてゆくことだけが全てではないのだと考えることができるようになりました。 だったら、やることは決まっているのに「どうして早く自分にスキルをつけようとしないのか!!」とも。

にっぱんに入社するまでの経緯は?

実家がすし店ということもあり、飲食の仕事には元々興味がありました。大阪でのアルバイトも飲食店でしたし。ただ、東京へ帰っても実家で働かないということは随分前から決まっていたことなんです。 父親が先代と一緒に働く中で相当な苦労があったようで、すしを仕事にするなら他でやってくれと言われていました。求人誌も見ながらいくつか候補はありましたが、その頃、友人が働いていた老舗の寿司店に応募することにしました。 友人の紹介という形ではなく、あくまでも一般応募として入社しました。3カ月間は試用期間とのことですぐに採用が決まりました。勤務時間は朝7時から夜11時半までで、休憩は1時間弱。12時間以上立ちっぱなしでした。 日本人なら誰でも知っているような有名寿司店なので、仕事が大変なのは充分に分かっていたのですが、それでも慣れない仕事だったので充分にきつかったです。すし屋の息子ですけど、魚すら捌いたこともなかったですし。 退職をする「決めて」となったのは入社から2ヶ月程経ったある時、ベテランの職人さんから言われたひと言でした。 お客様からの追加注文「太巻」を厨房に伝えたところ、「うるさいよ、お前が作れよ!」と。 高級店ですから、試用期間中の身で魚すらさわらせてもらえず、自分に太巻きなんて作れるはずもありません。そんな一言で諦めてしまうなんて意思が弱いと思われるかもしれませんが、拘束時間が長すぎて自分の生活リズムにも合わず、続けて行ける自信もなかったこともあり、翌日、2か月半で退職を告げることになりました。

就職活動のアドバイスで心に残っていることは?

「株式会社にっぱん」を選んだ理由は、家の近くに支店があり、その店の雰囲気が良かったこと、大きなチェーン店だからいろいろな面で安心だろうと思い応募しました。 昨年12月の最初の面接では採用どころか面接自体が成立しませんでした。志望動機、将来の展望、自己分析も含めて自分自身の事なのに、何一つうまく話すことができませんでした。履歴書の書き方も指導されたりして、面接担当の方にひと言「25歳にしては社会性が無さすぎる」と言われてしまいました。その後、様々なアドバイスを頂き、面接結果は「保留」になりました。 改めて考えてみると、最初の店はもちろん労働環境が合わなかったこともありますが、自分自身の働くための準備も足りなかったんだと思いました。今年の2月に改めて面接をして採用となりました。

すしを仕事に選んだ理由

実家で父親と板場に立つことは現時点では考えにくいですが、すし・和食は世界中どこでも通用する、受け入れられている伝統技術です。まず、この技術をしっかりと身に付けたいと考えたからです。近い将来、海外で働くことや自ら開業するときにも役に立つと思っています。

にっぱんの印象と選んだ理由初めてすしを握ってみて、どう感じましたか。

自分が作ったものでお金を頂くのは初めてだったし、これまで握ってっもらう立場だったので不思議な感じがありました。 充分にトレーニングはさせてもらったんですが、さすがに緊張しました。 最初は不安が大きかったのですが、その分練習してちゃんとしたものを作らないといけないんだという気持ちが強くなりました。 フライパンや鍋で調理したものはなく、自分の手だけで握ったものを目の前のお客様に提供するという、特別な責任感みたいなもの を感じました。

仕事が継続できている理由は何ですか?

入社から9ヶ月経とうとしていますが、毎日楽しく仕事ができています。自分自身の技術、サービスが向上してゆくのはもちろんですが、研修に来る様々な方達に教えることでそれが自分自身の勉強になっています。寿司を10年以上握ってきた方にも自信を持って教えることができるようになりました。

やりがいを感じるときはどんなときですか。

お客様に「おいしかった」って言って頂けたときですね。ただ、お客様には色々な方がいらっしゃいますし、頂く代金も皆同じですから 何も言わないお客様にも皆さんに同じように接することを心掛けています。

仕事上で失敗したことは何ですか?

魚の発注を忘れてしまったことですね。幸い、にっぱんは都心、繁華街に店が多くあって、池袋に2軒、新宿、渋谷にも3軒店舗があり、何とかお客様にご迷惑をお掛けすることなく対処することができました。

今やっていて楽しいことは?

小さなころはパイロットになりたかったこともあり、飛行機に乗って旅行するのがいいですね。年末年始も友人と旅行を計画しています。

現在思い描いている将来の目標はありますか。

一緒に働くことはないにしても、父親は飲食の仕事が好きなら実家を使ってラーメンでも和食でも、何でもいいからやれば良いって言ってくれています。だから、それまでは自分自身のスキルアップの時間だと考えるようにしています。 ただ、具体的に3年後にどうするとか、10年後にどうなっているとかのプランがあるわけではないです。 店長からは未来の自分のために、時間とお金を投資するようにいつも言われていますので、来年には英会話学校と経営セミナーに行こうと考えています。

今後、自分自身の課題と期待を教えて下さい。

すしの仕事を始めて9カ月になりますが、まだまだ魚の種類や食べ方、すしの歴史など知らないことが多いです。そうゆう部分はアカデミーに研修に来ているベテラン職人さんから教わることが多いです。自分からそうゆう知識も教えられるようにしないといけないと思っています。ですから、おさかなマイスターにも挑戦したいです。

3年前の自分へアドバイスするとしたら何がありますか?

学生時代の就職活動はちゃんとやらないとダメだということですね。大学では履歴書の書き方や初対面の人との話し方、マナー、スーツの着方など無料で教えてくれていたので、やらなかったのは大失敗だったなと感じています。あの時やっていれば自分自身の選択肢もより拡がったと思います。

寿司職人を目指す人にメッセージはありますか?

「魚がし日本一高田馬場アカデミー」はすごく環境が整っていると思います。準備や洗い物の様な下働きだけやらされる様なことは全くなく、初日から魚、シャリを使って、効率よく学べる環境が整っています。すし職人は握ることが最初のゴールだと思いますが、ここでは最初からやることになります。未経験の方も安心して入ってもらえると思います。 ですから、もし興味があるんだったらやってみることです。ここだったらスキルは確実に身につきます。そして、それがやりがいに繋がって くれたら自分も嬉しいです。

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